やぁ、ipodの内臓はゲームサントラばっかりの海産物だよ!
付箋にもあほらしーとハッキリ書いたんですが何度読んでもあほらしーので書いちゃいますyo
"モーツァルト生誕250年…だけど…"
⇒
http://www.sankei.co.jp/enak/2006/jan/kiji/27mozart.html-全文引用ここから-
今日27日はモーツァルト(1756−91年)の誕生日。生きていれば250歳。
この節目の年、母国オーストリアは、生地のザルツブルクと終焉(しゅうえん)の地ウィーンを中心に多彩なプログラムが組まれ、モーツァルト尽くしの1年となる。
わが国でも、2月にシュツットガルト歌劇場、6月にメトロポリタン歌劇場、11月にはウィーン・フィルが、モーツァルト作品を引っさげ来日するなど、内外の演奏家がこぞってモーツァルトを披露する。
モーツァルトをめぐる状況は一見華やかだが、「反音楽史」で山本7平賞を受賞した音楽評論家の石井宏さんはこう警鐘をならす。
「50年後の生誕300年には、だれも関心を持たなくなっているかもしれない」
モーツァルトの没後200年に当たった1991年と今年を比較すれば、モーツァルト=クラシック音楽の置かれた危機的状況が鮮明に見えてくるというのだ。
■■■
15年前、わが国では3種類のモーツァルト全集が発売された。中でも小学館はモーツァルトの全作品(約800曲)を178枚のCDに収め、最新の研究成果を踏まえた詳細な解説書を付して注目を集めた。すべてをそろえれば40万円を超えるにもかかわらず、その年に7000セット以上を売った。3000円のCDが5000枚売れれば大ヒットといわれるわが国の市場で、これは異例の数字といえる。岩波書店は、世界のモーツァルト学者の研究成果を4巻にまとめた「モーツァルト」を出版。2万円という価格にもかかわらず、発売から2カ月で3000部が完売した。
今年はどうだろう。ユニバーサルミュージックがCD180枚からなる全集を今日発売するが、注目を集めるのはもっぱらモーツァルト作品の聴きどころを寄せ集めた安価なCDばかり。出版界では、本格的な書籍が登場する気配はない。
■■■
音楽評論家の吉田秀和さんはかつてバッハのバイオリン曲「シャコンヌ」について、人類の感受性が革命的に変化しない限り、人類の宝として存在し続けるだろう−という趣旨のエッセーを書いた。
ところがこの15年の間に、加速度的に感受性の変化が生じたと石井さんは見る。「重厚長大な作品が博物館入りしつつあるいま、最後のとりでがモーツァルト。そのモーツァルトまでもが解体され断片が消費されるようになった。もはやクラシックを我慢して聴く時代ではない」(*1)
クラシックの“バラ売り”は、美しい楽章の演奏のみを集めたカラヤンのCD「アダージョ」(平成7年)の大ヒットを機に業界で盛んとなり、今年のモーツァルトでピークに達した感がある。(*2)この15年で受容態度をここまで変化させた要因は何だろう。
「ケータイを持ったサル」の著者である京都大学霊長類研究所教授の正高信男さんは、底流にデジタル技術の浸透があると見る。
「デジタル技術によって自分の必要な情報を瞬時に取り出すことに慣れた人間は、起承転結というように時系列を追うことが苦手になっている。お笑いの世界で瞬間芸がもてはやされるのはそのため。いまの日本ではクラシックのように時間的に構造化された芸術は、受け入れられる余地がない」(*3)
-全文引用ここまで-
*文中強調はワタシ。
重箱隅つつきします。
(*1)
えーと。
本来のクラシックの聴き方は「我慢して」聴くもんなんでしょうか?
今まで皆様は「我慢して」聴いてきたんですか?
(*2)
バラ売りでないと売れないってのを憂いている、でいいのかなぁ。
バラ売り、ダメですかねぇ?
バラ売りモノ好きな受容態度は本来のクラシックの聴き方じゃないんですか?
(*3)
人間コロコロ変わるもんなのはオマエに言われんでも分かってるはずです。
この人の主張要旨は「最近の人間は瞬間的なものしか分からない、それはデジタル技術が悪いからである」でしょうか?(何言ってるか分からん)
交響曲フルに1曲、は聴かれなくてもバラ売り美味しいところだけってのは聴かれている。
それを日本人のクラシック受容閾値が低いと判断するのはなんででしょう?
こういうバラ売りって星の数ほどあるクラシックの"最初の一歩"には最適だと思うんです。
最初の一歩を踏む。
これって誰もが必ず通ることでしょ。
どんな道からだって良いじゃないか!
バラ売りって"新しいクラシックの聴き方"でしょ。
それが売れてるって事はむしろ喜ばしいことではないでしょうか。
結論を
「日本のクラシック需要は捨てたもんじゃない!」
と導けないのはなんででしょう?
更に発展して
「こういう聴き方もある」
という建設的意見はなんで出てこないでしょう?
どうもこの記事
「クラシックは崇高に聴くもんだ。」
という匂いがぷんぷんしてるんですね。
オマエらクラシックの崇高さなんか分からんだろ、オマエらの聴き方はなってないんだよ、と心のどこかでバカにしてるような気配がします。
クラシックという音楽セールス的マイナー世界で他を落として自らを上げる遣り方されてもなー。こんな思考停止型典型的今の若者は論理を声高らかに言ってる場合じゃないと思うんですが。
"危機的状況"なら勘違いでも良いから前向き意見言いましょうヨ。
嗚呼あほらしぃ。
ここからはワタシのクラシックポリシーwです。
娯楽-音楽-クラシックというカテゴリ意識です。娯楽です。楽しく聴いてます。
オーディオ機器にこだわってません。
指揮者にも演奏家にもこだわってません。だけど気に入らない演奏は時々あります。
生演奏は全部良い演奏です。
自分にとっての名曲が知りたいんです。
自分にとっての名演が聴きたいんです。
それを探すのに力入れてる音楽ジャンルがクラシックだっただけの話です。この音楽的趣味が崇高なもんなんてこれっぽっちも思ってません。
「意外とクラシック面白いですよ」
の「意外と」が言いたいだけなんです。
(面白くないもんなんか書けるかっ)
それで誰かがハマったらそれはクラ界にとって良いことですしね。
だから今後も
「良いぞ!」
「おもしろいぞ!」
とレーベル関係者乙的エントリを書きます。
面白くないもんは華麗にスルーで。
しかし。
カラヤンのアダージョ熱帯雨林で曲目見ましたけどかなりそそられますわ(笑)これはかるーく聴くには丁度良いでしょう。正直欲しい。買うかも。
100曲クラシックも「曲は知ってるけどタイトル知らない」のを探すのに良いかも、って
ブクオフで狙ってるもん。